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慌てて甘いジャムを塗った食パンとコーヒー牛乳をかきこみ、ひとごこち。
1日の食事の中で、朝のトーストが一番、ウマイ…。
ちゅう訳で、妊娠したかな?と思ったら行かなきゃならないお医者さん。
私の場合、特に新しい土地でのことなので、ネットの口コミ情報を大いに活用させてもらいました。
その前に、ネットで「産婦人科の選び方」なんて打ち込んでググってみると、
いくらでも選び方のポイントが出てきます。
以下はどのサイトにも書いてあったことです。
●場所
自宅からの交通の便が良いかどうか。
また、総合病院ではなくて手術などの設備が足りない場合は、万一の時搬送されることもあるので、総合病院に近くて連携がとれているかどうか。
●サービス内容
お産の時、個室を希望なら個室が充実しているかどうか。
LDR室とかいうのもあって、陣痛から分娩まで移動しなくていい部屋の呼び名らしい。
それから、母親教室とか妊婦体操とかのクラスをやっているかどうかとか、
無痛分娩ができるかどうかとか、
自分の希望スタイルの分娩があるかどうかとか、
チェックポイントはいろいろあるらしい。
●価格
病院によって、思った以上に診察費用が異なります。
定期的に検診に行く訳ですが、1日1万円かかった、という方もいれば、4,000円程度で済んだ、という方もいます。
まあ安けりゃいいということでもなかろうので、サービス内容と比較検討して選びましょう。
●診察時間
働いている女性なら、平日は夕方何時まで診てくれるかとか、
土曜日も診てくれるかどうかは重要です。
大体、こんなもんでしょうか。
私も↑を参考にして、さらに口コミサイトで体験者の言葉を読んで、各病院のホームページで雰囲気を確認しながら検討しました。
あとは、実際に行ってみて、気持ちよく過ごせるかどーか、ですね。
さて、私の場合、調べているうちに産婦人科の候補は3つに絞られたのですが、
一番設備がきれいで場所も近いなあと思ったお医者さんが…塾で教えている子どもの家でした。
お医者さんの写真がサイトに載ってたんですが、
顔が全く同じなんですよコレが!
これはお父さん?こっちはお兄さん?
そういえば医者の子やって聞いたことあるなあ。
こらアカンわ。
ちゅう訳で、2番目の候補にケテーイ。
自宅からほど近く、総合病院のすぐ近く。
そして価格がお安い。
が。
まず電話予約の時にんーー?と思ったのが電話口の対応。
なんか早口で丁寧さに欠ける。
この辺りの土地は、どんなお店にいってもとにかくスローモーな対応にイラつかされていたのだけど、
一番丁寧に相手してほしい病院でこんな口調だと、逆にがっかりさせられます。
初診だって言ってるんだから
まずは客へのファースト・インプレッションを大事にすべきだろーが!
ともあれ実際に行ってみると、
サイトで見たほどきらびやかではなく病院っぽさが強いけど、広々として清潔な印象。
受付のおねーさんも、電話に出た人とは違うのだろうか、なかなかにこやかで感じが良い。
初診の問診表を提出した後の待ち時間の間に、院内の掲示物をチェックします。
すると、栄養士による良い食事の紹介とか、ヨガクラスとか、新生児の世話の仕方とか、妊婦さん向けの教室を定期的に行っていることが分かりました。
それはいいのですが、別に発見した掲示が「値上げ」のお知らせ…。
“サービス向上のためご負担おねがいします”…って、聞いてないよー!
しかも、初診6000円「以上」、定期検診4000円「以上」って、読んだだけでははっきりしません。
そうこうしているうちに、診察の順番が回ってきたのですが…。
おいおいおい。
なんだ?そのモゴモゴした喋り方はー!
んもう第一印象からコミュニケーションのヘタそうな医者だなあというのが丸分かり。
こちらは初めてのことだし、いろいろ丁寧に妊娠に関する情報を教えて欲しいのに、
あまりにもシンプルすぎる診察。
例えば、妊娠していたらありえない7月末という時期に生理らしき出血があった、
ということを伝えて原因を尋ねたのですが、
「不正出血でしょう。でも、今現在順調に育っているので問題ないです」
で終了。
いや、確かに、それでもいいですけど、私でも「着床出血」という言葉を知っていますが??
仮にそれが医学用語ではないのだとしても、中にはそういうケースもあるということを丁寧に伝えるべきではないのでしょーか(私が医者ならそうする)。
それから、心配していた、薬の服用の問題。
一番、胎児が薬物の影響を受けやすいという6~7週の時期に胃腸炎の薬をガバガバ飲んでしまったので
処方を説明した紙を渡して
「これを飲んでいましたが大丈夫でしょうか?」と聞いたんです。
すると、「うん、まあ、大丈夫でしょう」と。
…「まあ」ってなんじゃい!
その後の台詞で
「でも、つわりですから、飲んでも効かないですよ」
という言葉があったので
仮に飲み続けても問題ないような薬なんだな、と見当をつけたけどねっ!!!
「誰が飲むか!」と心で悪態を吐きつつ、
「もう飲むつもりありません」
と言い放ちましたよ、ったく。
ゼッタイにこの人のことを「センセイ」とは呼ぶまいと決意した初診だったのであります。
はあー、やっぱり女医さんがいいよなあ。
でも、この街に女医さんが見当たらないんだよなあ…。
ただ、この病院にはあと2人、別にお医者さんがいるらしいので、そのうち曜日を変えて行ってみようと思っています。
初診料も6000円に数百円上乗せされただけで、比較的安そうでした。
やはり病院選びのポイントは、最終的にはマンパワーということに尽きそうです。
安心して信頼して会話ができるお医者さんや看護士さんがいるかどうか。
こればっかりは、相性もありますので、実際に自分で確認するしかありません。
私の場合、客となったら大阪の商売人根性むき出しにしてキビシー目でチェックしますので、
満足いく医者に会えるかどーかw
いきなりちょっとグロテスクだったらごめんなさい。
およそ7週目の赤ちゃんの姿です。
大きさは7mm。
丸い部分は頭でなくて「卵胞」ということです。
お盆に関西に帰省してからこっち、どうにも体調が悪く、
胃がムカムカするし下痢だしで、
これは暴飲暴食による「胃腸炎」に違いない!と思い
(というのは以前にも何度か食べすぎなどの後になったことがあったので)、
不調4日目にして消化器科を受診。
お医者さんも「軽い胃腸炎でしょう」ということで、
漢方薬やガスター錠など3種類の薬を処方してもらいました。
がしかし。
毎日欠かさず飲んでいるのに、一向に良くならない…。
挙句の果てに、ある朝本当に吐きそうになり、
「もうアカン…潰瘍や…もしくはガンや…もしかして私もこれまで…??」
と、ジョーダンではなく本気で悩み、消化器科を再診することを決意。
がその前に、
「そうだ保険に入っておこう!」
と病気・入院保険の資料を引っ張り出し、万一に備えようとしていた時、
ふと、
「万一、妊娠していたら、あんまり薬とか飲まない方がいいんだよなあ…」
という考えが浮かんだのです。
それでも、妊娠はありえないと思っていました。
それには理由があって、7月末に生理が来ていたからです。
時間的に考えて、8月の半ばは排卵日周辺に当たるので、
妊娠の症状が出ることはありえません。
ただ、なんとなく引っかかりがあるとすれば、
その最後の生理がいつもに比べてとっても軽い症状で済んだこと。
量も少ないし、通常5日間くらい続くところが2、3日で終わってしまっていたんです。
いつも30日周期できっちり来るのに、
その時はやってくるのも予定より1週間ほど早かったから、
そんな関係で軽く済んだのかな?と思っていたのですが…。
ともあれ、念のため妊娠検査薬でチェック。
すると意外や意外。
思いっきりはっきり陽性反応が出ているではありませんか!
で急遽、行き先を消化器科から産婦人科に変更。
超音波で調べてもらった結果が、最初の写真という訳です。
いやー、本当に予想外でした。
もちろん嬉しいのだけれど、
入院を覚悟していたくらいだったのに、
病気どころか思いっきり健康体だったことが分かったワタクシがアホらしい…。
どんだけ、鈍いねん!
ということで、今のところつわりに苦しめられてはいますが、
体調の良い時にマタニティ日記を綴っていこうかなと思います。
「鏡のようにはっきりと…」という表現があるが、
実際に鏡を覗けば自分の顔のあんなところやこんなところまで一目瞭然である。
これがどうも気恥ずかしい。
「きゃっヤメテ」という気分である。
試しに、急にワタシの目の前に鏡を突き出してみれば、あたふたと不審な挙動をとる可能性が高い。
少なくとも、すかさずお色直しをするという行動パターンは、今だワタシの中にはない。
こんなワタシにもお気に入りの鏡があって、
それは、実家の朝日が差し込む洗面所にあった、
肩から上が映るくらいの小さめの鏡だ。
この鏡は周りの壁が白く、太陽の光がよく反射するせいか、
特に朝、顔を映すと頬の線が実にすっきりと、そして色白に見えた。
他の鏡で見ると大抵、顔が膨らんで見えたのだが、今思えば恐らく、そっちが正解だったのだろう…。
しかしこの間違った自己認識をしている間は幸せで、
周りにも家族しかいないからそれほど恥ずかしい思いも抱くことなく、
しゃれっ気が出て髪を伸ばし始めた頃なんかは、不器用なくせに、
ピンを使ったり三つ編みをしたりリボンを結んだり、
思う存分にお出かけの準備に時間をかけたものだ。
その鏡には「泉水道工務店」と施工店の名前が金文字で入ってあったのをよく覚えている。
今は実家の洗面所が改装されてしまったので、あの懐かしい鏡はどこかへ消えてしまった。
自宅のように自分の空間が確保できる場であれば、
ワタシも皆さんに負けず劣らず鏡を愛用し、
自分のナットクできる顔を見つけるまでガンバッテいるのだが、
公衆の面前や友人達と一緒に、となるといけない。
ことさらに人前では、鏡に映った自分と「目線を合わせること」が恥ずかしい。
鏡を見ること=自分を見つめること=自己と対面し、認識し、受容すること、である。
そんな極めて個人的で密やかな行為を、
まるで周りに誰もいないかのように人目を気にせず行うということが、ワタシにはずっとできずにいた。
まあすごく簡単に言えば、みんなに
「なにガンバッちゃってんの?」
とか思われるのでは!とビビっているというだけの話なのだが。
連れだって女子トイレに行く時なんかは、この最たるものである。
先に個室から出た場合は、鏡を見ている自分を友達に見られるのは苦痛なので、
ほとんどの場合、トイレの外まで出て待つことになる。
(時々、友達に不思議そうな目で見られる。)
後に出た場合は、大抵の友達はちゃんとお色直しをしているのだが、
その姿を覗き見するのも苦痛なのでなるべくそちら側を見ないようにし、
かつ手だけ洗ってサッサと外へ出るのも付き合いが悪いかなという気持ちから
自分も口紅などを取り出したりするが、
やり慣れない上に化粧道具もあまり持ち歩いてないので、
すぐに手持ち無沙汰になり、結局は先に外へ出てしまうことが多い。
なんだ?鏡ひとつで、この不器用な生き様は(涙)
多分、どこかに、キレイであろうと頑張ることは悪いこと、という意識があるみたいだ。
悪くはなくても、同じ女性からはどうも好かれそうにない行為だな、と感じてしまう。
だから、人目を気にせず、真っ向から鏡に向かって、
自分とも他人とも勝負している(ようにみえる)女性達には、軽く憧憬の念を抱いてしまう。
すごいなーっと思う。
「美醜など気にしない」という態度をとらなければならない、そうしなければ疎まれる、
という幼い頃からの小心で疲れる考え方は、
かなり根強くワタシの青春を侵してしまった。
でもやっぱり女の子なので、姿かたちは気になる訳で、
そこに、鏡の前で挙動不審に陥る原因が生まれる。
ああ、これも民主主義教育(平等教育)の功罪であろうか。
幸い、この複雑な感受性も、最近になってようやく、薄まってきた感がある。
思春期に常に抱いていた自他に対する切羽詰まった思いが和らぎ、
子どもの頃のように自己受容できている。
これがオバチャン化か!
人前で鏡を見ることにも、ほとんど苦痛を伴わなくなった。
もっとよく見ようと、公衆トイレの鏡に向かって身を乗り出し、マスカラを塗りたくることもできた。
目覚ましい進歩だ。
そうして、通勤途中、電車の乗り換えの合間に公衆トイレの鏡で
「自分チェック」するのが日課になり始めたある日のこと。
3つの洗面台の前にそれぞれ設置された3面の鏡は、毎朝盛況で、
あまり長居すると後がつかえてくるのだが、
人の迷惑も顧みず、なんとわざわざ
鏡の前で自分の顔を見つめながらタバコを吸う
という暴挙に出る女性が現れた。
女性というより、オバチャンだ。
まず第一に、トイレ内(というより駅構内)は禁煙である。
第二に、3面の中でも特に中央の1枚の前に好んで陣取るため、邪魔である。
第三に…お世辞にも美とは程遠い容姿の持ち主である。
一体、何のために、タバコを吸う自分の姿を見つめ続けるのか?
オバチャンなりの、朝の儀式なのだろうか…。
煙いし、洗面台は塞がるし、迷惑この上ない。
嫌らしいほどどぎつい赤の口紅をひいた、煙を吐き出す大きな口は、
なつかしの“喪黒福造”によく似ている。
よもや、これが女性の自意識の変化における最終形態だとは思いたくない。
しばらく通ううちに、ある時間帯には必ず現われることが分かった。
運悪く彼女と遭遇すれば、女性達の「自分チェック」の時間も台無しだ。
あるいは、それを狙っての仕業かもしれない。
女子高生たちが囁く。
「ちょっと…」
「…あ、またアイツ…」
「妖怪!」
「今度会ったら、わたし、ゼッタイ止めてって言うわ!」
妖怪VS女子高生のバトルがどのような結果に終わったのかは、未確認である。
鏡。
それはお年頃の女性の必須アイテムだということを、ほとんどの人が疑わないだろう。
ところがワタシ、この鏡が苦手である。
苦手なために、いつでもお化粧直しできるように持ち歩くというような習慣も、ない。
街へ出れば、
電車の中であろうと、
道端であろうと、
食事中であろうと、
仕事中であろうと、
ところかまわず鏡で「自分チェック」をする女性が主流となっている世の中だ。
女性だけでなく、今では男性にさえその傾向が感じられるではないか。
ところがワタシの場合、鏡を見ようと思ったら、公衆トイレへ駆け込むよりほかない。
別に「自分チェック」に批判的な意見を持っている訳ではないのだ。
常に自分をベストな状態に保とうとする前向きな姿勢は、むしろ感心すべきもので、羨ましいとさえ思っている。
電車の揺れにも負けず、上手に化粧直しができる腕前には、心から賞賛の言葉を贈りたいと思う。
ワタシなら、まず鏡を持たないため電車内で自分チェックをすることもできないのだが、
仮に鏡を与えられたとしても、粉やら紅やらでそこら辺を汚してしまうか、
下手をすれば他の乗客の皆さんに迷惑をかける結果となってしまいそうだ。
いや、まず、「鏡に映したい部分を映せる」という技術からして、自信がない。
あの携帯用の小さくカラフルな鏡を自在に操り、
目なら目、鼻なら鼻、口なら口を映しながら、
一方では化粧直しをし、
一方では電車の揺れに耐えるなど、
鼻の穴を膨らませながら涙を流すのと同じくらい、奇抜な芸当だと言わざるを得ない。
さて、この鏡への苦手意識は、いつ頃から形成されたのであろう?
そもそも、「お年頃の女性用のアイテム」という考え方自体が曲者である。
鏡が、「お年頃」専用ではなかった時代・・・あの頃の鏡は、実に輝いていた。
鏡を使った、とても面白い遊びを紹介しよう。
仕掛けは簡単。
場所は屋内がよろしい。
大きめの手鏡を、鏡面を上にして鼻の真下にあてる。
そして、目線を鏡面に向けると、見たこともない景色が足元に広がっているのだ。
今まで歩いていた確かな床が消え去って、変な模様や、木の張り出しや、凸凹がある、
距離感もおかしな複雑な地面を歩く羽目になり、とても危なっかしい。
要するに、鏡に映った天井を足元に見ながら歩くことになるのだ。
これは想像する以上に実際にやってみると、面白さがよく分かる。
特に、電気がぶらさがっている場所や、部屋から部屋へ移動する時なんかは、スリル満点だ。
ご自分の部屋を見回してみれば分かると思うが、実際の敷居は歩きやすい高さになっていても、ドア上部の天井からの距離は意外に長い。
その距離がそのまま、にせの敷居となって足元にせりあがって見えるのである。
慎重にやらないと危ないが、このスタイルで階段を上るというチャレンジも楽しい。
ワタシはこの遊びが大好きで、飽きることなく挑み続けていた。
まるで異次元を冒険しているみたいなワクワクする体験が、手鏡ひとつで可能になる。
皆さんも、やったことがあっただろうか?
最近の瀟洒なマンションやモダンな家となると、天井がすっきり平らで何の模様もなく、それほど興奮する道のりにはならないかもしれないが・・・。
他にも鏡には合わせ鏡や、光を反射させて相手にキョーレツに眩しい思いをさせるなど、楽しいイタズラ方法がある。
マジックでも鏡は基本アイテムだし、万華鏡は美しい幾何学模様に触れる最初のツールとなる。
(つづく)
これから話を伺いに行くのは、若い男の子だ。
彼が主演の映画の試写会は、J嬢と共に鑑賞済みである。
この作品にはお笑い芸人が多数起用されていたとのことで、お笑いマニアでもあるJ嬢などは、鑑賞後、内容よりも出演者の面々に対してかなり興奮の体で
「○○があんなところに!××はあんなところに!」
とまくし立てていたが、もちろん、私には誰一人として分かるはずもない。
どころか、あらゆる出演者が初対面である。
キャリアの長い俳優陣に関しては、さすがに顔を見たことはあるのだが、相変わらず名前は出てこない。
そして爽やかに主演を演じきった肝心の男の子であるが、映画の主演は初めてらしいが、これまでに数本のドラマ・映画出演経験があるということだ。
J嬢は
「いやー、彼は“クル”と思ってました!」
とやはり興奮気味である。
映画は、作品としてはなかなか上出来の方だったので、役柄としての出演者たちには親近感を覚えているのだが…本物の彼とご対面となると、どうにも気持ちが沈みがちだ。
どうもワタシの頭はリアルに対応できていないようで、映画を観るのは大好きなのだが、だからといってその役を演じた俳優はどんな人?というところまで興味が続かない。
あくまで、役柄が好きなのだ。
ロード・オブ・ザ・リングならばレゴラスやアラゴルンに心底ホレつつも、オーランド・ブルームやヴィゴ・モーテンセンその人となってしまうとラブ度は半減。
名前を知っているだけ、まだマシってものである。
ん?
しかし仮にその2人にインタビューできるなら、嬉しさのあまり昏倒してしまいそうだな…。
結局は、今回の作品、この出演者たちは、ワタシのせまーい興味の範疇にビビビと飛び込んではこなかった、ということなのかもしれない。
この後ろ向きな気持ちをどう解釈するにせよ、2時間後、である。
カメラ兼お助けマン(お目付け役?)として、いつも同行してくれるしっかり者のJ嬢の手前、ないやる気を雑巾絞りに絞り出す作業に、そろそろ入らねばまずい。
それにしてもJ嬢は、えらく嬉しそうだ…。
期待の若手俳優に会えるのが、よほど楽しみなのだろう。
不安のかけらもないJ嬢の顔つきをみた瞬間、ワタシの中で何かが弾けた。
「J嬢。」
「ん?」
「ごめん。できたら、今回は、インタビューしてくれへん…?」
そう。
逃げたのだ。
J嬢はライターでもあり、性分が頼れるアネゴ肌なので、7割以上の確信はあった。
「えー、うん、まあ、いいよ。じゃあ、カメラお願いね」
快哉を叫ぶ、とはこのことだろう。
この瞬間、一切の苦悩と緊張から解き放たれたワタシは、嬉しさのあまり一気にテンションが高まった(本当に分かりやすい人間ですよ)。
側で頷いているだけでいいなら、取材時間ほど楽しいものはない。
俳優の素顔にも一転、興味がむくむくと湧きあがってくる。
J嬢からでかい一眼レフカメラの使用方法を簡単に説明してもらい、足取りも軽やかに現地に向かうことになった。
カシャーーー、カシャーーー、カシャーーーー…
シャッター音が響き渡る。
正面、斜め上方、右、左。
遠景、近景。
あらゆる角度から俳優(Aさんとしよう)のベストショットを撮りまくる。
インタビューは、長引いている。
本来なら、良い合いの手でも入れてJ嬢の仕事を楽にしてあげるべきなのだが、
完全に逃げの体勢に入ったワタシは、とにかく撮影を続けている。
50枚は撮ったのではあるまいか?
プロではないので数打つ必要があるのは確かだが、明らかに、傍観者を決め込みたいという巨大な無意識の力が作用している。
どうやらAさんは、聞いてもいないことを喋りすぎるタイプのようだ。
自分を語るのが大好きなタイプである。
喋ってくれない人に比べればありがたい話なのであるが、
質問に対する答えではなく、単に自分の興味関心を延々と語りたがるので、
最終的にはこちらの質問が何だったのかも分からなくなりがちだ。
J嬢も、やや首を捻っている様子。
ヘラヘラ笑ってシャッターを切りながらも、いつの間にやら話が
「10代で立ち上げた会社が成功して…云々かんぬん」
などとあらぬ方向にそれていくのを目の前にしていると、J嬢への同情を禁じえなくなってくる。
何とか助け舟を出したいという気持ちと、J嬢、ガンバ!という傍観者の気持ちがせめぎ合い、結局、特に何をするでもない。
予期せぬ脱力感に見舞われながらも、ようやく質問事項も残り少なくなってきた。
どうやら、カメラのフィルムを使い切ってしまったようだ。
2本目のフィルムに手を伸ばし、カメラの背を開いて交換作業に取り掛かる。
と、その時。
信じられないものを目にした。
カメラの背を開いたときに通常見えるのは、いや見えなければならないのは、フィルムのペラペラの端っこである。
ところがそこにあったのは、巻き上げられていない状態で見事に露出した茶色のフィルムそのものだった。
まさか。
そんなまさか。
そういえば、カメラ使用法の説明をJ嬢から受けた際、巻き上げの方法を聞いた記憶が…。
自動巻き上げ…では、ない、と。
頭が真っ白になる。
白地の脳みそにただ一つ、浮かび上がった「感光」という文字がリフレインする。
目の前すぐの場所にはAさん。
左前方にJ嬢。
後方には、プロダクション関係の方が2人、控えている。
身動きが、とれない。
それに、限られた取材時間の中、今さら、最初から撮影させてくれとは、とても言えない。
しかもその理由が
「感光」、「感光」、「感光」…
リフレインが、トマラナーイ。
一縷の望みをかけて、もう一度、カメラの背を閉じてみる。
そして、これが巻き上げか?と思われるボタンを操作してみる。
が、微動だにしない。
J嬢から受けた説明は、どこかへ飛んでいってしまっている。
何しろ、今、ワタシの頭の中にあるのは、「感光」の2文字だけなのだから。
かといって、どのボタンでもいいから押してみる、という荒業に出ることも出来ない。
カメラマンとして来ているのに、カメラの基本操作と格闘する訳にはいかないではないか。
ここから、ワタシの必死の隠ぺい工作が始まる。
目線はAさんへ。
そして顔には笑顔をはりつけ、タイミングを見計らって頷く。
問題のカメラは全員からの死角になるように隠し持ち、左手の親指だけでフィルムの巻き残しをズズ、ズズ、と直接押し込んでゆく。
考えたくないことだが、まず間違いなく、この50枚はすべてパアである。
何が何でもフィルムを交換し、1枚でも多く写真を撮っておかなければ、インタビューページの顔写真が空白になってしまう。
かつ、自然な動きで誰にも気づかれぬようこれをやり遂げなければ、永遠の笑い者になることも間違いない。
おまけに、幾つも年下の、この賢しらぶったA青年の前でそんな醜態をさらすなど、およそ耐え難い苦痛である。
そんなワタシの懊悩とは裏腹に、タイムリミットは刻々と近づいている。
左手を駆使して押せども押せども、フィルムの終わりは見えてこない。
そして…悪魔が微笑んだ。
巻き上げ作業は遂に終了することなく、お礼を述べて退場することとなってしまったのだ。
「J嬢…、ごめん!!!フィルム、感光させてしもうた!!」
「えええーーーー??アンタぁ…」
「きっと、やっぱり、この場合、全部使い物にならんよね?どうしよ?どうしよ??」
既に半ベソである。
J嬢は、年下である。
ああ、情けない。
しかし、社歴では先輩のJ嬢は頼もしく、もし全部ダメなら、プロダクションから写真を借りて、それを載せれば済むことよ、と教えてくれた。
その手があったか!
とはいえ、やはり本来は取材中の顔を載せるべきところなので、とんでもない大失態には変わりなく、うちひしがれた気分のまま次の仕事へと向かうことになった。
やはり、仕事というのは、誰かに甘えてやるものではない。
たとえサブの立場であっても、常に全体を把握し、いつでも主役を張れる状態で臨まなければならないのだ。
結局、写真はどうなったかって?
フィルム撮影をする前に、光量やポジションの確認のため取材冒頭に2、3枚だけ撮っていたデジカメの写真の1枚が、なんとか採用できるレベルにあり、これを掲載することで落着した。
背景の壁にAさんの頭の影が黒々と映りこみ、まあロクな写真ではなかったのだが、表情だけはオトコマエに撮れていたのが救いだった。
油断から究極の焦りへと悪夢の転落を遂げた今回の体験は、きっとワタシを大きく成長させてくれたことだろう…と信じている。