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しかし、現実そのものを映して見るということになると、これは本当にもう、リアルである。
「鏡のようにはっきりと…」という表現があるが、
実際に鏡を覗けば自分の顔のあんなところやこんなところまで一目瞭然である。
これがどうも気恥ずかしい。
「きゃっヤメテ」という気分である。
試しに、急にワタシの目の前に鏡を突き出してみれば、あたふたと不審な挙動をとる可能性が高い。
少なくとも、すかさずお色直しをするという行動パターンは、今だワタシの中にはない。

こんなワタシにもお気に入りの鏡があって、
それは、実家の朝日が差し込む洗面所にあった、
肩から上が映るくらいの小さめの鏡だ。
この鏡は周りの壁が白く、太陽の光がよく反射するせいか、
特に朝、顔を映すと頬の線が実にすっきりと、そして色白に見えた。
他の鏡で見ると大抵、顔が膨らんで見えたのだが、今思えば恐らく、そっちが正解だったのだろう…。
しかしこの間違った自己認識をしている間は幸せで、
周りにも家族しかいないからそれほど恥ずかしい思いも抱くことなく、
しゃれっ気が出て髪を伸ばし始めた頃なんかは、不器用なくせに、
ピンを使ったり三つ編みをしたりリボンを結んだり、
思う存分にお出かけの準備に時間をかけたものだ。
その鏡には「泉水道工務店」と施工店の名前が金文字で入ってあったのをよく覚えている。
今は実家の洗面所が改装されてしまったので、あの懐かしい鏡はどこかへ消えてしまった。

自宅のように自分の空間が確保できる場であれば、
ワタシも皆さんに負けず劣らず鏡を愛用し、
自分のナットクできる顔を見つけるまでガンバッテいるのだが、
公衆の面前や友人達と一緒に、となるといけない。
ことさらに人前では、鏡に映った自分と「目線を合わせること」が恥ずかしい。
鏡を見ること=自分を見つめること=自己と対面し、認識し、受容すること、である。
そんな極めて個人的で密やかな行為を、
まるで周りに誰もいないかのように人目を気にせず行うということが、ワタシにはずっとできずにいた。
まあすごく簡単に言えば、みんなに
なにガンバッちゃってんの
とか思われるのでは!とビビっているというだけの話なのだが。

連れだって女子トイレに行く時なんかは、この最たるものである。
先に個室から出た場合は、鏡を見ている自分を友達に見られるのは苦痛なので、
ほとんどの場合、トイレの外まで出て待つことになる。
(時々、友達に不思議そうな目で見られる。)
後に出た場合は、大抵の友達はちゃんとお色直しをしているのだが、
その姿を覗き見するのも苦痛なのでなるべくそちら側を見ないようにし、
かつ手だけ洗ってサッサと外へ出るのも付き合いが悪いかなという気持ちから
自分も口紅などを取り出したりするが、
やり慣れない上に化粧道具もあまり持ち歩いてないので、
すぐに手持ち無沙汰になり、結局は先に外へ出てしまうことが多い。
なんだ?鏡ひとつで、この不器用な生き様は(涙)

多分、どこかに、キレイであろうと頑張ることは悪いこと、という意識があるみたいだ。
悪くはなくても、同じ女性からはどうも好かれそうにない行為だな、と感じてしまう。
だから、人目を気にせず、真っ向から鏡に向かって、
自分とも他人とも勝負している(ようにみえる)女性達には、軽く憧憬の念を抱いてしまう。
すごいなーっと思う。
「美醜など気にしない」という態度をとらなければならない、そうしなければ疎まれる、
という幼い頃からの小心で疲れる考え方は、
かなり根強くワタシの青春を侵してしまった。
でもやっぱり女の子なので、姿かたちは気になる訳で、
そこに、鏡の前で挙動不審に陥る原因が生まれる。

ああ、これも民主主義教育(平等教育)の功罪であろうか。

幸い、この複雑な感受性も、最近になってようやく、薄まってきた感がある。
思春期に常に抱いていた自他に対する切羽詰まった思いが和らぎ、
子どもの頃のように自己受容できている。

これがオバチャン化か!

人前で鏡を見ることにも、ほとんど苦痛を伴わなくなった。
もっとよく見ようと、公衆トイレの鏡に向かって身を乗り出し、マスカラを塗りたくることもできた。
目覚ましい進歩だ。

そうして、通勤途中、電車の乗り換えの合間に公衆トイレの鏡で
「自分チェック」するのが日課になり始めたある日のこと。
3つの洗面台の前にそれぞれ設置された3面の鏡は、毎朝盛況で、
あまり長居すると後がつかえてくるのだが、
人の迷惑も顧みず、なんとわざわざ

鏡の前で自分の顔を見つめながらタバコを吸う

という暴挙に出る女性が現れた。
女性というより、オバチャンだ。

まず第一に、トイレ内(というより駅構内)は禁煙である。
第二に、3面の中でも特に中央の1枚の前に好んで陣取るため、邪魔である。
第三に…お世辞にも美とは程遠い容姿の持ち主である。

一体、何のために、タバコを吸う自分の姿を見つめ続けるのか?
オバチャンなりの、朝の儀式なのだろうか…。
煙いし、洗面台は塞がるし、迷惑この上ない。
嫌らしいほどどぎつい赤の口紅をひいた、煙を吐き出す大きな口は、
なつかしの“喪黒福造”によく似ている。
よもや、これが女性の自意識の変化における最終形態だとは思いたくない。

しばらく通ううちに、ある時間帯には必ず現われることが分かった。
運悪く彼女と遭遇すれば、女性達の「自分チェック」の時間も台無しだ。
あるいは、それを狙っての仕業かもしれない。

女子高生たちが囁く。
「ちょっと…」
「…あ、またアイツ…」

「妖怪!」

「今度会ったら、わたし、ゼッタイ止めてって言うわ!」


妖怪VS女子高生のバトルがどのような結果に終わったのかは、未確認である。

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無題
真のアイドルは化粧しない!化粧してるところを見てしまったらアイドルでなくなってしまう!
…というのも、もはや昔の話になりつつあるよな。
古臭い俺は、そういう駆け引きは重要だと思うんだけどね。。。
そういう意味では、パグ主人殿は正統派!?笑
(そして、おばちゃんの魅力はそれだけにあらずですね)
よっしー 2007/08/11(Sat)18:56:25 編集
ふむ。
私から見れば鏡をフル活用している人の方が駆け引き上手なんだよね。
鏡を見ないくせに行儀よくもないから、気がついたら顔になんか付いてたりするぞ。
けど、そこら中で必死に化粧している姿って、確かにちょっと興ざめではあるね。
その他大勢の視線なんてどーでもいいという心理かしら。

逆に大和男児は鏡を見るときどんな気持ちなんだろな?
パグ主人 2007/08/16(Thu)11:29:44 編集
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